高松高等裁判所 昭和28年(ネ)115号 判決 1954年10月01日
主文
当庁昭和二十八年(ネ)第一一五号事件につき控訴人等の本件控訴を棄却する。
当庁昭和二十八年(ネ)第一一六号事件につき原判決中控訴人三上晴子勝訴の部分を除きその余を取消す。
被控訴人等は控訴人三上晴子に対し別紙図面(ほ)(は″)(ハ″)(ヘ)(ほ)の諸点を結ぶ線内の土地及び(ヘ)(ハ″)(ニ″)(ホ)(ヘ)の諸点を結ぶ線内の土地を各明渡すべし。
控訴人河野謙一の本件控訴を棄却する。
第一一五号事件の控訴費用は控訴人等の負担とし、第一一六号事件中控訴人三上晴子の関係について生じた訴訟費用は第一、二審共被控訴人等の負担とし、控訴人河野謙一の関係について生じた控訴費用は同控訴人の負担とする。
本判決中第一一六号事件の控訴人三上晴子の勝訴部分は同控訴人において被控訴人等に対しそれぞれ金一千円の担保を供するときは各仮に執行することができる。
事実
第一一五号事件控訴人兼第一一六号事件被控訴人等代理人は、第一一五号事件につき原判決中控訴人等勝訴部分を除きその余を取消す、被控訴人三上の請求を棄却する、訴訟費用は第一、二審共同被控訴人の負担とするとの判決を、第一一六号事件につき、控訴棄却の判決を求め、第一一六号事件控訴人等及び第一一五号事件被控訴人等代理人は第一一六号事件につき、原判決中控訴人三上勝訴部分を除きその余を取消す、被控訴人等は控訴人三上に対し別紙図面(ほ″)(は″)(ハ)(ヘ)(ほ)の諸点及び(ニ″)(ホ)(ヘ)(ハ″)(ニ″)の諸点を結ぶ線内の土地を、控訴人河野に対し、別紙図面(ナ)(ラ)(ル)(ヌ)(リ)(ワ)(カ)(ヨ)(タ)(レ)(ソ)(ツ)(ネ)(ナ)の諸点を結ぶ線内の土地を各明渡すべし、訴訟費用は第一、二審共被控訴人等の負担とするとの判決及び保証を条件とする仮執行の宣言を求め、第一一五号事件につき控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の陳述は、一一五号事件被控訴人兼第一一六号事件控訴人(以下第一審原告と略称する)において別紙図面(ほ)(は″)(ハ″)(ヘ)(ほ)の諸点を結ぶ線内の土地、同図面(ニ″)(ホ)(ヘ)(ハ″)(ニ)の諸点を結ぶ線内の土地及び同図面(ナ)(ラ)(ル)(ヌ)(リ)(ワ)(カ)(ヨ)(タ)(レ)(ソ)(ツ)(ネ)(ナ)の諸点を結ぶ線内の土地は何れも現に第一審被告等において占有中である。第一審被告等はその先々代田中嘉平が明治三十二年五月十八日以降二十年間占有し、時効によつて本件土地の所有権を取得したと主張するが、第一審被告等は勿論、田中嘉平においても右土地につき時効完成による所有権取得の登記を受けていないから、これをもつて第三者たる第一審原告等に対抗することができないと陳述し、第一一五号事件控訴人兼第一一六号事件被控訴人(以下第一審被告等と略称する)代理人において、第一審原告等代理人主張の範囲の土地を第一審被告等において現に占有していることは争ない。仮に宇和島市本九島字箱崎千八百八十二番地、同所千八百八十三番地の一、二及び同所千八百八十七番地の四の土地が第一審原告等主張の位置に存在するとしても、第一審被告等先々代田中嘉平は明治三十二年五月十八日(同人が千八百八十七番地の一及び三を買受けた日)から所有の意思をもつて平穏且つ公然に二十年以上右土地を占有し、第一審原告等が本件土地を競落当時、既に時効完成によつてその所有権を取得していたのである。そしてその後第一審被告等先代田中筆助が家督相続によつて右所有権を承継取得し、次いで筆助の死亡によつて第一審被告等が遺産相続によりこれを承継し、現に第一審被告等の所有に属するものである。もつとも右土地について時効による所有権取得の登記の存在しないことは争はない。尚原判決書四枚目表終りから二行目「原告三上晴子所有の右千八百六十三番地の一の土地」云々とあるは千八百八十三番地の二の土地の誤りにつき訂正すると陳述した外原判決摘示事実と同一であるから茲にこれを引用する。
(立証省略)
理由
第一審原告三上の先代三上シマが昭和七年五月十二日宇和島市本九島字箱崎千八百八十二番地、同所千八百八十三番の一、二の土地を競落し、また第一審原告河野が昭和六年十二月二十四日同所千八百八十七番地の四の土地を競落したことは当事者間に争がない。
よつて先づ第一審原告三上の請求の当否について按ずると成立に争のない甲第一号証(もつとも甲第一号証に員外六番地同五番地と記載されているのは成立に争のない甲第十号証により右員外六番地同員外五番地は員外六番地の誤りであると認める)甲第十号証、乙第三号証、原審証人加藤亀太郎の証言により成立を認め得る甲第九号証、原、当審における証人片山安信、山瀬敬治の証言、検証の結果(原審は第一、二回とも)第一審原告河野謙一本人尋問の結果を綜合すれば、第一審原告三上先代三上シマが競落した千八百八十三番地の二の土地は別紙図面(イ)(ロ)(ハ)(ヘ)(イ)の諸点を結んだ線内の土地、同番地の一の土地は同図面(ヘ)(ハ)(ニ)(ホ)(ヘ)を結んだ線内の土地、また千八百八十二番地の土地は同図面(チ)(ト)(ヲ)(ル)(ヌ)(リ)(チ)を結んだ線内の土地であることが認められ、右認定に反する原、当審証人山下寅松、田中嘉平(原審第一、二回)の証言は採用し難くその他第一審被告等提出援用に係る全証拠をもつてするも右認定を覆すに足りない。従つて三上シマは競落によつて右土地の所有権を取得したものと認むべきところ(右競落当時第一審被告等先々代田中嘉平が時効完成によつて前記土地の所有権を取得していたとしても、田中嘉平はこれをもつて三上シマに対抗し得ざる関係にあつたこと後に判示する通りであるから前記事実は何等三上シマの所有権取得を妨げるものではない。)弁論の全趣旨に徴すれば三上シマは前記競落当時その旨の所有権移転登記を了したが同人は昭和十四年一月二十八日死亡し第一審原告三上晴子において家督相続により右土地の所有権を承継取得し、昭和十六年三月二十四日これを原因とする所有権移転登記手続をなしたことが認められ、第一審被告等が別紙図面(ち)(ト)(ヲ)(ル)(ヌ)(リ)(ち)の諸点を結ぶ線内の土地、(甲)(い)(ろ)(は)(は″)(ハ″)(ニ)(ホ)(ヘ)(ほ)(甲)の諸点を結ぶ線内の土地を現に占有中であることは第一審被告等の争はないところである。
第一審被告等は仮に第一審原告先代三上シマが競落した土地が同原告主張の位置に存在するとしても、第一審被告等先代田中嘉平は明治三十二年五月十八日(同人が千八百八十七番地の一及び三の土地を買受けた日)より本件係争土地を自己の所有なりと信じ所有の意思をもつて平穏かつ公然に占有使用し、三上シマの右土地競落当時既に二十年以上を経過し時効完成により前記土地の所有権を取得しその後第一審被告等先代田中筆助が家督相続により右所有権を承継し、更にその後第一審被告等が遺産相続によつて筆助の所有権を承継取得し、本件土地は現に第一審被告等の所有に属するものであると主張するが右土地につき田中嘉平の時効による所有権取得の登記の存在せざることは第一審被告等の認めるところであるから、田中嘉平は三上シマの本件土地競落当時時効完成による所有権取得をもつて同人に対抗し得ざる関係にあつたことは勿論、第一審被告等も田中嘉平の時効による所有権取得をもつて第一審原告三上に対抗し得ないものといわなくてはならない。
従つて第一審被告等は第一審原告三上に対し別紙図面甲(い)(ろ)(は)(は″)(ヘ″)(ほ)(甲)の諸点を結ぶ土地、(ち)(ト″)(ヲ)(ル)(ヌ)(リ)(ち)の諸点を結ぶ土地及び(ヘ)(ハ″)(ニ″)(ホ)(ヘ)の諸点を結ぶ土地を明渡す義務があるといわなくてはならない。
次ぎに第一審原告河野謙一の本訴請求について按ずると、右原告が競落した千八百八十七番地の四の土地が同番地の二の土地を分割して生じた土地であり、同番地の二の東北部五畝(但し登記簿上は六畝十二歩)の部分に該当し、第一審原告河野が同番地の四なりと主張する別紙図面(ワ)(リ)(ヌ)(ル)(ラ)(ナ)(ネ)(ツ)(ソ)(レ)(タ)(ヨ)(カ)(ワ)を結ぶ線内の土地の地積が五畝二十八歩となることは成立に争のない甲第十九号証の一、二原審における鑑定人山本信胤の鑑定の結果及び弁論の全趣旨を綜合してこれを認め得べくまた原審証人山下安衛門(第一、二回)は第一審原告河野の主張に副うが如き証言をし原、当審における第一審原告河野謙一本人尋問に対しても同人はその主張に副う供述をするけれども一方前記甲第十九号証の二に表示された千八百八十七番地の四の土地とその周囲の土地の地番との関係を成立に争のない甲第一号証、同十号証、乙第三号証と比較すると、前記証拠をもつて直ちに第一審原告河野の主張を肯認する証拠となし難く、その他第一審原告河野の主張を肯認する証拠となし難く、その他第一審原告河野の提出援用に係る全証拠をもつてするも、千八百八十七番地の四の土地が同原告主張の土地に該当することを確認することができない。従つて第一審原告河野の本訴請求は爾余の判断をなすまでもなく失当である。然らば原審が第一審原告河野の本訴請求を排斥したのは正当であつて同原告の本件控訴は失当である一方、原審が第一審原告三上の本訴請求中別紙図面(ほ)(は)(ハ″)(ニ″)(ホ)(ヘ)(ほ)の諸点を結ぶ線内の土地の明渡を求める部分を排斥したのは失当であつて、第一審原告三上の本件控訴は正当であり、第一審被告等の本件控訴は失当である。
よつて第一審被告等及び第一審原告河野についてはいづれも民事訴訟法第三百八十四条に則り本件控訴を棄却し、第一審原告三上については同法第三百八十六条に従い原判決中同原告勝訴の部分を除きその余を取消し同原告の請求を認容し訴訟費用の負担について同法第九十五条、第九十六条、第八十九条を仮執行の宣言について同法第百九十六条を各適用し主文の通り判決する。(昭和二九年一〇月一日高松高等裁判所第二部)
一、訴外山口忠右衛門居住家屋東北石垣角を基点(ち)とする
(ち)点より南へ九〇度四〇分の角度で七間三尺を(い)点とし、
(い)点より南へ三八度二〇分の角度で五、三間を(ろ)点とし、
(ろ)点より南へ一七度三〇分の角度で三、一間を(は)点とし、
(は)点より西へ八八度四二分の角度で四間を(に)点とし、
(に)点より北へ九一度一五分の角度で約十一、一間を(ル)点とし、
(ル)点より北へ八〇度〇五分の角度で三、五間を(ヌ)点とし、
(ヌ)点より北へ八七度一八分の角度で一、三間を(リ)点とし、
(リ)点より東へ五八度一〇分の角度で六、五間を(ち)点とする。
宇和島市本九島字箱崎千八百八十四番地の東北部に建設しある電燈柱(B)より北西一度、水平距離三間六八を基点Aとする。
A点より南東八度、水平距離一五間三〇を(ハ)点とし、
A点より南東四度三〇分、水平距離七間二五を(ヘ)点とし、
A点より南東三七度、水平距離七間五〇を(ヘ″)点とし、
(ハ)(ヘ)線が市道北側境界線と交る点を(ハ″)点とする。
二、A点より南東八度、水平距離一五間三〇を(ハ)点とし、
A点より南西三十二度、水平距離一八間九〇を(ニ)点とし、
A点より南東四度、水平距離七間三〇を(ホ)点とし、
(ニ)(ホ)線が市道北側境界線と交る点を(ニ″)点とする。
三、A点より南西六二度三〇分、水平距離一四間三〇を(ナ)点とし、
A点より南西六三度、水平距離九間三〇を(ラ)点とし、
A点より南東六三度三〇分、水平距離四間五〇を(ル)点とし、
A点より南東七七度、水平距離七間を(ヌ)点とし、
A点より南東八八度、水平距離六間六五を(リ)点とし、
A点より北東七五度三〇分、水平距離五間八〇を(ワ)点とし、
A点より北東三七度四〇分、水平距離一間九八を(カ)点とし、
A点より北西五一度斜距離(傾斜角度三七度)六間二〇を(ヨ)点とし、
A点より北西三五度斜距離(傾斜角度四五度)一〇間四〇を(タ)点とし、
A点より北西七二度三〇分、斜距離(傾斜角度二四度三〇分)一六間を(レ)点とし、
A点より北西八一度、斜距離(傾斜角度一八度三〇分)一六間〇五を(ソ)点とし、
A点より南西八九度、斜距離(傾斜角度一ニ度)一五間一〇を(ツ)点とし、
A点より南西八二度三〇分、水平距離一四間一五を(ネ)点とする。
以上
<省略>